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2006.02.28

〔トリノ五輪〕カーリング…その後のいろいろ

五輪が終わって、少し冷静にいろいろ振り返ってみようかと。

このブログではカーリングについて、いろいろ取り上げましたので、
まずはそのことから。きのう、NHKでやっていたトリノ五輪総集編。
その中で、波に乗り切れず1勝3敗で終えた序盤戦のあとに、
小野寺さんが、林さんに「スキップを代わってくれないか」
打ち明けていた…というエピソードが語られていました。

以前も紹介したとおり、カーリングにおけるスキップは極めて重要な
役割で、チーム名にその名が冠されるほどの重要なものです。
それを、五輪の期間中に「交代してくれ!」と切り出すということは、
彼女もよほど思いつめていたのかもしれません。

これまでも、彼女のショットのおかげで勝ってきた試合が何度も
あり、彼女が「出来る」ということはわかっている。
この大会を皆が笑顔で終われるように、小野寺さんにしっかり
スキップの役割を守ってもらって、皆で支えて行きたいと思った。


林さんは、そんなことを言って小野寺さんを励ましたそうです。
もう、なんだか泣きそうになっちゃいますよ。

あと、準決勝以降の実況を担当した森アナがフジテレビのHPで
こんなことを書いていました
よ。「なぜ、マリリンだったのか?」

カーリングの実況担当アナみんなで常呂町の合宿に事前取材に
行った時のお話。

本橋選手は、ニックネームをマリリンと言います。
そして、「チームマリリン」の名前で世界ジュニアにも出たことがあります。
さらには、本人もマリリンと言ってほしいとのこと。
空港に戻る車の中で、
「だったら、中継でもマリリンと紹介しようよ」という話になりました。
初戦の日本テレビ河村アナ、二番手NHK刈屋アナ、三番手テレビ朝日大熊アナ、そして準決勝までくれば私と、みんなでマリリンと言ってあげようということになりました。
ふざけているわけではありません。
そう伝えることが、一番、このチームの雰囲気を正確に表現するだろうと思い、
決めたのです。
残念ながら私は日本戦の実況はできなかったけれど、やはり私もマリリンと伝えていたと思います。


…あの刈屋アナが大真面目に「マリリン、マリリン」と
連呼していた裏には、こんな理由があったんですよ。
なるほどなぁ。本人がマリリンと呼ばれることを希望していて、
かつ、それがチームの雰囲気を如実に表現するものであれば、
ありえない話だけど、私が実況アナでも「マリリン」だったかな。

ちなみに、森アナの別の記事によると、この取材のための
費用はすべて自腹だったらしく、8万円ほどかかったんだとか。
五輪実況アナウンサーも大変なんですねぇ。お疲れ様でした。

以上、BSで閉会式生中継の前に、日本×カナダ戦を3時間
近くにわたり(…ということは、ほぼノーカットで)放送することを
当日の夜、職場のテレビで知り、あー、録画できないやん!
テレビの前で地団駄を踏んだつげさんがお送りしました。
※ 個人的にBSで3月に深夜帯に放送される「名勝負プレーバック」で
もう1度くらい放送されないかなぁ…とひそかに期待しております。
NHKの担当者の方、ひとつよしなにお取り計らいいただきますよう。

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